エリア144さん、echokou1989さん他市販されている良質な1/144レジンキットや、ワールドタンクミュージアムキットなどをベー
スに機銃や装備品など素人が若干加工して作った一点もののDAK6点+兵士、テントなどのセットです。
●総撃墜機数158機、うち151機が北アフリカのイギリス空軍相手という北アフリカ戦線の空の勇者ハンス・ヨアヒム・マルセイユ
大尉。弱冠23歳で空に散った英雄は、かつて名将ロンメルをして、「君の活躍なくしてドイツアフリカ軍団は砂漠の地に作戦を展
開できなかった」と言わしめたほどの功績をあげました。
マルセイユが最も成功を収めた日は、1日に17機を撃墜し、121機撃墜とした日です。
これは、西側連合国空軍機が1人のパイロットによって1日に撃墜された最多機数で、これによりマルセイユは柏葉・剣・ダイヤ
モンド付騎士鉄十字章を受章しましたが、17機の敵機撃墜には10分間での8機も含まれており、この手柄の結果、イタリア王
国空軍中隊からキューベルワーゲンをプレゼントされました。
その車にイタリアの僚友は"Otto"とペイントした(Ottoはイタリア語で8)そうです。
1942年9月28日マルセイユはエルヴィン・ロンメル将軍から、彼と一緒にベルリンへ戻ることを求められます。
総統が9月30日にベルリンで演説をすることになっており、ロンメルとマルセイユが参列を求められていたためです。
しかしマルセイユは、自分が熾烈を極める前線で必要とされていることを引き合いに、ロンメルのこの申し出を固辞しました。
2日後、マルセイユが護衛任務を指揮したあと、基地へ戻る途中、マルセイユのBf109Tropがエンジン故障を起こし、操縦席は
煙で一杯になり始め、目が見えなくなって半ば窒息し、僚機によって誘導される状態になります。
なんとか戻りはじめますが味方戦線にたどり着くと、マルセイユ機はパワーを失い、どんどん降下していきました。
部下は「あと約10分でシディ・アブデル・ラーマンのホワイト・モスクに着きます。そうすれば味方の戦線内です!」と大声で叫
びましたが、マルセイユの搭乗機は、もはや飛行不能の状態となっていました。
彼の部下への最期の言葉は、「脱出する。もうこれ以上は無理かな!」でしたが、彼のパラシュートが開くことははついにありま
せんでした。 「アフリカの星」はこの日堕ちたのです。 アフリカ中のドイツ軍兵士が涙を流したそうです。
最後の再会となったのかどうかはわかりませんが、シディアブデル付近の前線基地へ帰投したアフリカの星、ハンス・ヨアヒム・
マルセイユ大尉を、その愛機メッサーシュミットBf109戦闘機黄の14番と愛車Ottoの前で労う、ロンメル将軍と幕僚たちをイメ
ージしてみました。
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